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ニーチェ、知への問い (幻冬舎ルネッサンス新書)
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語られること多き哲学者、ニーチェへの理解は正確であろうか。また、哲学的先達に対するニーチェ自身の批判は正鵠を得ているだろうか。たとえば、ニーチェの“プラトン批判”は、プラトンその人ではなく、後世のプラトニストたちが作り出した“虚像としてのプラトン”を意図的に撃ち抜いたものと見ることもできる。抜きん出た人物は、本当に善いもの、本当に正しいものを何一つ包み隠さず、何一つ手加減を加えることなしに、人々に語りかける。ニーチェを哲学の入口とし、その言説を座標軸に置いて考察する著者もまた、現実と格闘する意志をもって私淑するニーチェに挑んでいる。ニーチェの言説を軸としてプラトンの関連書物をひもとくことで著者が見いだしたことの一つは、もっとも忌むべきは、自分たちの都合の良いように先賢をドグマ化する者らに違いないということである。そのつどのテキストの検証を粗雑にすませることが生じさせる、伝言ゲームのような歴史的誤謬の上塗りを、著者は指弾する。
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